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2019-01-05

文明通信2019年1月号

文明通信2019年1月号表
文明通信2019年1月号裏

「農耕民族の外出」

営業職の人や芸能人などを外に出て働く「狩猟民族タイプ」とするならば、カフェの仕事は定住しながらの営みになるので「農耕民族タイプ」です。私の前職である学習塾というのも教室を水田とする農耕タイプでした。飲食店であってもチラシやクーポンを配りに出たりする「狩猟」が必要なこともあるかもしれませんが私はやったことがありません。学習塾時代はチラシのポスティングを(本部からの命令でもなんでもなく自主的に)やったことがありましたが、これの本当の真意は見知らぬ町(山梨の教室に赴任していたので)の地域の特性、例えばどこにどんな学校があって娯楽施設があって他塾があって等はもとより、単に町の空気を体感したいというつもりでサイクリング気分で自転車でまわっていたので仕事という感覚は希薄でした。そんな中でひとつ「狩猟民族系業務」と呼べるものが山梨エリアマネージャーとしての仕事でした。それは山梨にある他の全ての教室の新人講師たちに向けた研修会(4時間くらいぶっ通しで喋ります)や他の教室長との合同会議や東京本部との往復等、本来の教室長としての基本業務である「自分の教室の生徒と講師を管理」する以外の外部活動的なものが組み込まれておりました。珈琲文明はチェーン店でもなんでもなく一つしかありませんのでこのエリアマネージャー的業務というのはありませんが、近年たとえば「コーヒー講座」であるとか「カフェ開業講座」のようなものを依頼されどこかに出向くという「狩猟タイプ」の業務も増えてきまして、これは自分自身やっていて本当に楽しくやりがいもあるものなので今年もこういうことはどんどん出向いてやっていきたいと思っています。また飲食店主(特に個人店)というのは頭が凝り固まり、進化しようとしないゆえに退化の一途をたどるタイプが多いので「現状維持は退化」を肝に銘じ、他の「田んぼ」も見学しにどんどん出向こうと思います。この「田んぼ」は同業態の店よりもむしろカフェ以外のお店のほうが個人的には参考になると考えております。珈琲文明は創業から今年で干支が一回りします。日々の最重要業務である店舗運営が第一で「農耕民族的業務」が大原則なのはこれからも変わりませんが、今年はそんな農耕民族が行ける範囲やれる範囲で楽しみながら「外出、散歩」に出ようと思います。

珈琲文明 店主 赤澤 智

新企画!~「文明文庫」第一回は新井満さん~

当店の本棚に置いてあります「書籍」のほぼ全ては作者ご本人のサイン入りであり、作者の方との素敵な思い出もたくさんあります。今年から不定期連載で当店にある書籍の紹介をしていきたいと思います。記念すべき第一回は当店の本棚シェア(?)No1を誇る新井満さんでいこうと思います。ご本人から頂戴したものや自身で購入したものも含めると相当な数になります。「千の風になって」をはじめ「尋ね人の時間(1988年芥川賞受賞作品)」、自由訳であるところの「般若心境」「イマジン」「老子」「方丈記」などなどこれらの中から何か一冊をチョイスするのはあまりに至難であることや、満さんから得た学びの数々をここで網羅するにはあまりに紙面不足であることを承知の上で闇雲に述べてみたいと思います。当店がまだ出来て間もない全くの無名店だった頃にご夫婦で散歩の途中に来店してくださったのが最初と記憶しています。楽曲「千の風になって」はもちろん知っていましたがそれを作った人であるという一致は数回のご来店を経てからのことでした。社会人としてしっかりと仕事をしながら音楽や執筆創作活動も続けておられたこと、お金のために音楽をやったことは一度もないという話などは極めて高純度な作品群が証明しており、「目、耳、手、足、二つついていることでバランスを保てるように、生きていく中でも二つのものを持ち、それを両輪として動いていく人生のほうが何かと良い」というお話は私自身が現在音楽活動をするうえでの根幹の考えとなっています。「豊かさとは足し算ではなく引き算である」という話なども、地球を何周もして来たあとだからこそたどり着いた境地なんだろうと思います。10年近く前に「富士山を世界遺産にするためのシンポジュウム」なるものに私ども夫婦を招待してくださったことがあります。そこで満さんの他に登壇していた中曽根元首相や女優の長澤まさみさんをはじめ各界の著名人が集っていてそのあまりの凄さに現実感が希薄で終始ポカーンとしてたあとに謝恩会のようなものにまで参加させていただいた時に何故か満さんご夫婦が私どもと会話しているテーブルを定位置とし、そこに色々な関係者の人々が名刺を持って入れ代わり立ち代わり満さんに挨拶に来てる時に奥様の紀子さんがうちら夫婦を「こちら近所の喫茶店の人なんです」と天真爛漫な笑顔で紹介してくださり、そこにいる人たちはおそらく「さっきからずっと新井さんと話し続けているこの人はきっとただの喫茶店主じゃないにちがいない」とか勘違いしてるかのように我々夫婦にも恭しく挨拶をしてくれたのですが本当にただの喫茶店主(笑)なわけで、でもそんなご紹介をしてくださった奥様の紀子さん最高!大好き!って思いましたし地位や権力などのしがらみとは一切無縁の新井家を震えるほどカッコイイと思ったのを覚えています。
先ほど数ある著作の中から何か一冊を選ぶのは至難だと述べましたが、敢えて選ぶとするならばそれは満さんの過去のエッセイがまとめて一冊になっている「生きている。ただそれだけで、ありがたい。」という本かもしれません。これはいつでも傍らに置いておきたいバイブルのようなものなので残念ながら当店の本棚にすらなく、厨房の中にあります。
この本の中で「黄色いれんぎょうの花が、土手の上の小径(こみち)をおおいつくすように咲き乱れていたのである。<それにしても・・・>私は心の中で思った。<なんという美しさだろう・・・・>その光景は、一年前にも見ているはずだった。しかし、一年前は見えていたのかもしれないが、決して意識的に見てはいなかったのだ。死にそこなって生還してきた今の自分にとってその風景は、同じ風景でありながら、全く違った風景となってせまってきた。」というくだりがありまして、19歳の時に病で生死を彷徨った後の満さんのこの気づきとは年齢もその次元も比べるべくもないことではありますが、私は34歳の時に(怪我でも病でもなく)それまでの人生をリセット、といえば聞こえはいいですが、どん底の精神状態にあった時にたくさん散歩をしました。その時に見た景色は以前も見た景色と同じであるはずなのにまるで別物であり、そしてその数々はどれも心の深淵に浸み込むように入ってきました。そして思いました「なんて美しいんだろう・・・」と。
あの時がまさしく自分にとっての「再生」だったんだなと思っています。
新井満さんを登場させてしまうと予想どおり文章にも収拾がつかなくなりましたのでこのへんで・・次回はもう少しスマートに書きますので以降の「文明文庫」お楽しみに。

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