文明通信2017年12月号
善良なるエネルギーの伝播
かつて「気」を読めたりすると思われる人同士が「ここが前に言ってたエネルギーが綺麗なところね」と話し合っていたのを耳にし、私は驚きのち歓喜したことがあるのですが実は私もそう思います(笑)。いや、これは断じて私の心が綺麗だとかいうことではなくて、時折思うのです、珈琲文明はなんだか自分のお店じゃないみたいであると。
自分の力の及ばない何らかの力、それはほかならぬ善良なるお客様によるエネルギーの結集のようなものを感じるのです。
私は毎朝息子を幼稚園に送り届けてから店に来るのですが、日々感じていることとして、幼稚園という場所は、人、モノ、空気、その総体に邪悪なものがない楽園のような世界で、私自身毎朝いったんここで自己が浄化されている気がします。
そして、珈琲文明という場所も「楽園」には及ばないまでも、性善説的空気(?)の純度が日に日に増し、浄化&昇華作用が働いている気がしてならないのです。
ここは正直に言います。来店されるお客様全員が例外なくどんな時も善良なる人間だとは思っていません。幼稚園の子供たちにしても保護者にしても、また保育士さんでさえもそこを離れた日常ではまた異なる振る舞いをしているとも思います。当然私自身もです。
しかし例えばそれが幼稚園や珈琲文明というハコに踏み込むと空気が変わる不思議について、ここでまず自分自身は昔と何が変わったのかという検証結果から述べてみます。
世の中には邪悪渦巻く漆黒のダークサイドがあるのも間違いなく、その中にあって自分だけがお花畑のような状態で痛い目にあったこともあります。
逆に、鎧をまとい、攻撃的になっているのが自分だけで、まわりは実はお花畑だったこともあります。自己と他者とのミスマッチはあるものです。
ところが、中には、「どうであれまずはオープンマインド全開でくる人」というのが存在します。身近な例で言いますと、登山ですれ違う人々が交わす「こんにちは」、
もっと日常では朝に近所の人に会った時の「おはようございます」、
これらをまず先に言うタイプの人の存在。もう少し言うと「こちらの心は開いていますよ」ということを相手より先んじるという人。この手の人が当店のお客さんに多いことには創業当初から気づいていました。実際こんなことは平常営業内ではなかなかわからないものですが、一例だけ挙げておきます。閉店後の帰途に、狭い(仲見世商店街の幅よりも狭い)すれ違うのも困難な小道がありまして、そこを夜中の1時過ぎに歩いていた時に前方から人が歩いて来ました。こういう時はお互いに色んな種類の緊張感が走るものですが、その人はいったんそこで止まって私が通り過ぎるのを待っていてくれました。私は小走りになりつつお礼を言ったその相手は当店によく来るお客様でした。これはあくまで一例ですが他にも「先に心を開く」というタイプの人にこのお店を始めてからよく出会いました。またこれは完全に手前味噌ではありますが、最初の一年間店を手伝ってくれていた妻もまずは「開いた状態」で常日頃から人と相対しており、これは接客の基本なのかもしれませんが、やはりそれまで会社組織にいたり、容易に人を信じてはいけない教訓を得たりもした自分にとってはこの「完全に開いた状態」で接客する妻の姿は新鮮に映りました。
そんな人々が幸運にもこの店に集い、それによって私自身も心を開いた状態で日々営業していくようになり、また更にそういうタイプの新たなお客さんが増え、そうした空気は年月を経て徐々に店全体に伝播していったような気がするのです。
今年の7月に開催した「10周年記念イベント」で狭い店内身動きできない人数のお客さん故にクイズの景品を2階席まで渡しに行けない時にバケツリレーのようにお客さんが景品をパスして2階まで景品が到達する様は性善説という養分をたらふく取って成長した龍が昇っていくようであり、あの時見た光景こそが珈琲文明10年の集大成でした。
珈琲文明 店主 赤澤 智