文明通信2020年1月号
「定住型狩猟(!?)」
去年の文明通信1月号では「農耕民族の外出」と題して、店舗経営という「定住農耕型」に加え、外部活動的なこと即ち「狩猟民族型」の要素も加えていきたいということを述べていました。ここで言う外部活動とは具体的には「コーヒー講座」や「カフェ開業講座」等の講師業務でした。もともと異業種交流会や名刺交換会のようなものに興味が薄い自分としては期せずして多くの異業種の方々とも出会い、おかげさまで新たな発想が生まれたり自分自身の幅も広げられたと思っております。
そんな中で「定住型狩猟」とも呼べる新たな取り組みも生まれました。
それは「カフェラボ」というプロジェクトです。巷では「オンラインサロン」などと呼ばれていたりするもので、「カフェ開業メソッド(店舗開業に関して、恐ろしく赤裸々で生々しい部分まで全て伝えるものです)を会員限定公開で発信かつイベントも実施していく」というものです。これは日中にせよ夜にせよ様々な事情で「カフェ開業講座」に参加出来ない会社員や主婦の方々、さらに遠方で物理的空間的にも参加困難な方に向けて何か良い策はないだろうかと考えて生まれたものです。まだ会員数は少数ではありますが、北海道から九州まで、本当に全国色々な地方から会員になってくださっている方々がいて感激しております。
さて、私の「田んぼ(営業基盤)」はあくまでも珈琲文明の店舗経営であります。
珈琲文明という水田を離れることなく外部に働きかける「定住型狩猟」はこのカフェラボ以外にもいろいろ展開していく予定ですがその予定を今ここで述べるのではなく全て実際の行動結果でのみ報告していきたいと思います。ただし、繰り返しになりますが私にとっての生業基盤はあくまでも珈琲文明の店舗経営であることは強調しておきます。
オリンピックイヤーでもある2020というキラキラした年は、
「個人のキラキラの集合体」で成り立つものだと思います。
ここはひとつそれぞれの持ち場で各人みんなでキラキラしてまいりましょう!
珈琲文明店主及びカフェラボ主任講師 赤澤 智
~文明文庫(第3回)~「必ず【失敗】するカフェづくり」
今回は表の紙面で触れた「カフェラボ」でカフェ開業講座をする際に出席者に進呈している拙著小冊子「必ず【失敗】するカフェづくり」を紹介させてください。
能書きはともかく書いてある部分をそのまま貼り付けます。あくまでも一部なので全文は店内に小冊子を置いておくのでそちらかまたは「カフェラボ」→
https://www.cafelabo.net/activities/tags/%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%A8%98%E4%BA%8B?summary=1 で閲覧可能なので興味のある方はご覧ください。
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P8第五話「信条(クレド)と調整弁」
私のお店のクレド(信条)は・・・ 「自分自身や家族が幸福で、健全で、堂々と、公明正大な運営をすることで、そこに集まるお客様にも幸福をもたらしたい」
です。 「物凄いオレ様運営主義」みたいですね(笑)。これでもああだこうだと散々悩みぬいた挙句に行き着いたもので、実際まる一年くらい考えた末のものでして、もっと複数条文あったのですが、最終的にこれひとつだけに絞りました。
サービス業のスローガンで頻発される「お客様主義」や「おもてなし」「ホスピタリティ」というフレーズについて少し考えてみたいと思います。
これから述べる話はとても誤解を受けやすく、また敵も作りやすい危なっかしい内容になりますが、恐れずにまいります。
これら一連の「お客様第一主義」を掲げ、言葉だけじゃなく行動も伴うお店があったとします。
そしてこのお店が実際に「おもてなし発動」をする相手、これが時に、奉仕期待値の極めて高い人、特に口うるさい人(クレーマー体質の人)、など「目立つ」人に偏ってしまう場合があります。 これはお店の話に限らず、病院内での患者、飛行機内での乗客、などイメージしていただくとわかりやすいと思うのですが、「目立つ人へのおもてなし発動」がどうしても多くなりがちです。
でも、同じくその場には、「あくまでもいたって普通にご利用くださるひたすらに尊いお客様」が数多く存在します。その人たちへのサービスが行き届かなくなるほどの特定の人への偏ったサービスは考えものです。もとよりその「いたって普通にご利用くださる人たち」は過剰なサービスなど望んでおらず、単に居心地よく、普通に利用出来ることが望みなだけなのに、それさえも壊してしまうほどの他へのサービスなどありえません。ちなみに、明らかに「他のお客様への居心地を悪くするような行動に出ている人」に対して、よくドラマやマンガで聞いたことがある正義感溢れる店主の、「金はいらねぇから、とっとと帰けぇ~んな!」という言葉(江戸っ子でなくてもいいですが)を、私は断じて承服できません。 それを言うなら「会計を済ませてお帰りください」であるべきです。
その人からお金をとらなくて、ごく普通の善良なお客様からはお金を取るなんてことはチャンチャラおかしく粋でも何でもない心意気(だから何故江戸っ子?)といえます。
話を戻しますと、「いたって普通にご利用くださる善良な人たち」にしっかりとフォーカスする、ということがメチャクチャ重要な仕事と考えます。では具体的にどのように向き合うべきなのかを今から述べます。それはズバリ、「店主は調整弁に徹する」です。
表現が曖昧この上ないため具体例を挙げますね。火力、水力が多い時は逃がし、少ない時は開き、曖昧なままでしたね・・・私の現場事例でいきます。
【事例その①】
コーヒー専門店である私のお店にまるで居酒屋に入ってきたかのようなハイテンションで、声が大きいお客様が来た場合→高給レストランの支配人風情で、小さめの声と低めのトーンで接する。
【事例その②】
明らかに緊張しながら入って来て、色々と不安な様子がありありと漂うお客様の場合→人間味溢れる(クールの反対という意味で)感じで、極めてにこやかに、言葉づかいは俗っぽくはならないまでもけっしてかしこまり過ぎないようにする。
などのように店主は調整弁になるように心がけると良いと思います。そうです、「どのようなお客様にも平等に同じ態度で接しましょう」という考えとは真っ向から異なる姿勢です。
またこれは番外編事例として、私のお店には「地獄のカレーパン」という名物(迷物?)がありまして、それを学生グループで罰ゲームのような感じで食べる状況になった場合→やはり事例その①とほぼ同じ感じにします。こちらもくだけた感じで楽しそうに接したほうが絶対にそのグループにとっては楽しいに決まっています。しかし、ここで同調していると店全体の空気が変わります。「物凄~く辛いんだけど、なんだか騒げない空気」を醸し出させていただいております(笑)。
学習塾を運営していた頃は、明るく目立つ子よりも、人見知りで静かな子に率先して話しかけるようにしていました(それをその子は良しとしたかどうかはともかく)。ある意味ではこれまた全く平等ではなく、特に「事例その①」の人や地獄のカレーパンのグループ、そして学習塾時代の明るく目立つ子、にとっては私の対応は「満足いくサービス」ではないどころかマイナスでしょう。
それでもやはり調整弁となり全体を維持していくことのほうがお店にとってもまた自分自身にとっても健全な姿勢と考えています。
信条(クレド)の話に戻りますが、仕事をしていく中で、上司も部下も付き合い上の変なしがらみもなく、理不尽さなどに頭を悩まされず、自分にとってこれこそが健全だと思える陽のあたる王道を堂々と歩いていくこと、とにもかくにもここから始めてみたかったのです。 そしてこれで上手く行かなければそれはそれで気分も晴れ晴れするような気がしました。でも個人店の数少ない特権ってこういうことだと思いませんか?