文明通信2017年8月号
「神様がくれたご褒美はボンタンアメ!?」
シンガーソングライターで大学の軽音楽部時代の先輩、樋口了一さんが以前私のバンドが10周年を迎えた時に発行した記念本の「帯」に以下のようなコメントをくれたことがありました。
「オノヨーコの言葉に『何でもいいからそれを10年続けたら神様がご褒美をくれる』っていうのがあるんですけど、このバンドに神がくれたご褒美はなんでしょう?
それは、あの学生時代の阿呆で馬鹿で真摯な音楽への初期衝動をなくさないまま10年やって来れて、これからもやり続けていけるっていう貴重な貴重なホントに貴重な信頼関係。ですかね。10周年おめでとう」
その後お陰様で我がバンドは今月8月の6日で結成満23年を迎えます。
さて、それでは、この度10周年を迎えた珈琲文明が神様にもらったご褒美はなんでしょう?
その話をするためにはボンタンアメの話をしなければなりません(笑)。
先日私はとあるイベントの景品でいくつかあるお菓子類の中でどれでも好きなものを一つだけもらっていいという権利を得ました。私はボンタンアメを選びました。
(※ボンタンアメとは、キャラメルのような箱に入っていて、南国果実のボンタンの味がして、特徴的なのは一粒ずつオブラートで包まれていて、アメとなっているが、あれは噛まずにはいられない感じになっているため、まさにキャラメルといったほうがいいのかもしれないというのは私見です)
それが最もノスタルジー全開だったからというのが理由ですが、
実はこのお菓子、半世紀生きてきた私にさえ実はリアルタイムではないのです。
幼少の頃、確か祖母がくれたのが最初の記憶であり、子供心にも「シブっ!」って思いながら食べたのを覚えています。美味しいとか美味しくないではもはやなく、
なんだかとても古くからある伝統的なものを今食べているということへの楽しさだけがそこにありました。
その後、学生になり、大人になっても、コンビニや駅の売店でも目にするということは、それを見るとやはりなんだか懐かしくなって思わず買ってしまうという人が多い、
つまりちゃんと需要があるということなのでしょう。
私は当時でさえ初めて食べておきながら既に懐かしさを感じ、その後はその懐かしさが増幅していき、いわばその「懐かしさ」にお金を払っているような感じです。
このような商品はやはりどれも圧倒的に歴史があるものが多く、
例えば和菓子等になってくるとそれこそ創業が江戸時代といったスケールになってきます。
当然現世の誰ひとり今はその時代を生きて当時をリアルタイムで知る人はいないのにやはりそのお菓子はある時を境に徐々に「わぁ渋い!なつかしい!」となって、各自の勝手な思い出と共に脳内にその味も刷り込まれます。
今、「ある時を境に徐々に」と申し上げましたが、その「ある時」の最初の最小単位が10年という歳月なのかなと思うのです。
「老舗」と呼ぶには創業10年なんてまだ鼻垂れすらしていない小僧ですが、
老舗へと向かう最初の一歩目がこの10年という歳月のような気がします。
そしてボンタンアメに対する私の思いのようなものを
不特定多数の方々が珈琲文明に対して持ってくださるのであればそれはそれこそが10年のご褒美なのだと思います。
珈琲文明 店主 赤澤 智
今月の逸品(一品)
「10年寝かせたバーボン(非売品&もうありません)」
表面の「10年たつと神様からご褒美」といえば、神様ではなく自らで決めていた褒美があります。ちょうど10年前のオープニングパーティー時にバンドメンバーからバーボンウイスキー(ラベル部分にメンバー各人からの寄せ書き有り)をもらいました。
そして最初は「1年たったら開けよう」と思い、しかしふと「いやいやここはひとつ10年待とう」となり、この度めでたく本当に10年が経ちました。
しかし問題なのは保管場所でした。そこは当店の二階屋根裏ストックルームで、
エアコンもなく天井造作もなく梁がむき出しの場所で、冬は寒く、とりわけ夏は灼熱地獄のような恐るべき寒暖差のところでそのバーボンは文句ひとつ言わずひっそりと10年暮らしていました。先日10周年記念パーティーでついに開けることになりました。
蓋がコルクになっており、抜こうと思ったらコルクが簡単に折れて、さらにストンと中に落ちてしまいました。フォークで拾おうとしたらそのフォークまで落ちました(笑)。
極めて不穏な状態の中、私とバンドメンバー、さらには数人の有志らでそれを呑みました。
もはや酒造メーカーが狙った味とは絶対に異なると思うのですが、これぞ10年モノの味(なのか?)美味しくいただきました。