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2017-06-05

文明通信2017年6月号

文明通信2017年6月号表
文明通信2017年6月号裏

「冬の雨なら今ここで死んでいたかもしれない」

谷村新司さんの「小さな肩に雨が降る」という歌の中に「冬の雨なら今ここで死んでいたかもしれない」という一節があり、「春の雨に肩を抱かれてもう少し歩いてみたい」と締めくくられるこのフレーズが折に触れ私の脳内に度々出てくることがあります。
それはだいたい何かを新しく始めた時の困難、当時の空気感と共に蘇ります。
私は大学卒業後、音楽活動を優先すべく塾講師のアルバイトを10年強続け、
つまりはずっとフリーターで、34歳になってから初めて正社員として大手学習塾(それまで講師をしていた塾ではなく)に就職しました。原則として社員はイコールどこかの教室長としてすぐに(だいたい二週間ほどで)赴任します。私は入社当時は都内の教室で肩書きは一応「副教室長」ではあるのですが、業務内容は「封筒の宛名書き」「ポスター貼り」「チラシのポスティング」「月謝未納者への連絡」等、雑用的なことがほとんどで、
私のちょうど一回り歳下の若い精力的な人が教室長で(他の教室長も含め、ほとんどが私より遥かに若いエネルギッシュな人たちでした)その人の下で働いていました。
入社後半年がたったある日の土曜日、「赤澤さん、明後日から大月に行ってくれますか?」と言われました。そこが山梨県であることさえもわからないまま、かといって迷う時間すらなく、日曜を挟んだ次の日、とにかく私は大月にいました。
本部の人や上司から直接言われたわけではありませんでしたが、要は左遷でした。
しかし私の中ではようやく自分が教室を任されたという喜びでいっぱいでした。
八王子の自宅への中央本線「上り終電」が早いこともあり、何度も逃し、週の半分以上は教室に泊まっていました。寝袋をはじめ徐々に「お泊まりグッズ」も充実していきました。膨大な時間を教室と共に過ごしましたが、それでも業務に終われ毎日がいっぱいいっぱいでした。理由は明白です。私は物事を理解、把握する速度が人一倍遅く、何かと時間がかかってしまう性分なので、おそらく東京の大人数の教室を持つ社員から見たら驚くほど仕事が遅かったと思います(だからこそ教室長になるまで半年もかかったともいえます)。
ある時思いました。もし入社して二週間ほどで東京の大教室を任されていたら、自分の頭や体はショートしていたかもしれない・・・いや、実際にそうなってしまった若い教室長を何人も見てきました。小規模で自然豊かな地で自分なりに全身全霊で働き、その中で起こる苦難に直面した時に思い出した一節、「冬の雨なら今ここで死んでいたかもしれない」。
やがて「おまえは武田信玄か!」っていうほどに、山梨、栃木、茨城、群馬を加えた数百ある北関東全ての教室の中で一番となり全国表彰も受けましたが、この「一番」というのはつまりは教室の売上の話であり、それよりも私の中ではやはり「半年間一人も退会者が出なかった記録」(15年以上たった今も破られていないそうです)のほうが断然誇らしく痛快な思い出となっています。

さて、珈琲文明は来月7月でついに10年になりますが、10年前のこの6月というのはサイレントプレオープンという、通常であればプレオープンというのはまずは友人知人のみに知らせて一般のお客さんはグランドオープン後からというケースとは全く逆の、「友人、知人にも知らせずに、ネット上などでも一切の告知をせず、ただひっそりとお店を開けておく」という状態を一ヶ月近く続けることからこのお店はスタートしました。
当然お客さんはものすごく少なかったです。それでもなんだか毎日いっぱいいっぱいでした。その時は妻にもフルタイムでお店に出てもらっていたので仕事量もかなり分散出来たにもかかわらず、どうにもいっぱいいっぱいでした。しかしこの時にサイレントプレオープンではなく最初からガンガンに宣伝及びオープニングサービス(値引き等)をしていきなり多くのお客さんの対応に迫られていたら・・・
やはりその時思いました。「冬の雨なら今ここで死んでいたかもしれない」
幸いにして死なずに珈琲文明は生きながらえて間もなく10年が経ちます。
全くの無名だったお店が少しずつ火をくべ、力強い焔となり、燦々としていられるのは、
10年前の今頃、サイレントプレオープン時に来店してくださったお客さまによる「種火」あればこそです。万感の思いを込め、10年前の6月のお客様に感謝!

珈琲文明 店主 赤澤 智

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