toggle
2016-03-05

文明通信2016年3月号

文明通信2016年3月号表
文明通信2016年3月号裏

「5回目の3.11」

5回目の3.11がやってきます。私自身にとっては49回目の3.11でもあります。
いえ、もちろん3月11日という日付は古来から毎年毎年ずっとやって来ていたものです。
しかし生きていく中である日突然その日付に重要な意味が込められることがあります。
私に関して言えば、3.11とは44歳になる日まではただの自分の誕生日に過ぎませんでした。
5年前のあの日を境にその日付がとても重い意味を持つものとなり、また自分自身も「生きている」という意味を重く確認する日となりました。
こうしたあまりにインパクトのある出来事があればもちろんなのですが、
特に何もなかったとしても、やはり「生きている」ということはそれ自体がすごいことなのだなと最近強く思います。
それは大仰な話ではなく、ただ日々生きていることの積み重ねにより生まれる奇跡というものもあると思うのです。

先日、来店されたお客様で「私はマスターと同じ大学で学部も卒業年も同じなんです」という方がいらっしゃいました。卒業アルバムに二人とも載っていることになります。
当時は同じキャンパスを歩くも何ら接点もなく知り合うこともなかったわけですが、
四半世紀以上たった今、小さな喫茶店で二人が出会ったということは考えてみるに多くのミラクルが重なっているのです。
その方は卒業後数多くの転勤を繰り返したのちに現在ここ白楽周辺にお住まいであること。
私は私でそもそも店をやるなんてことは卒業当時全く考えてもおらず、
やがてお店を横浜の六角橋に出すことになったということやその他もろもろひっくるめて、
全くもって当たり前ではないことばかりです。
卒業後のその方の四半世紀に何があったのかは聴いていませんが、簡単に説明できるわけがないほどの様々な出来事を乗り超えてきたことだけは想像がつきます。
そして一緒にいらした娘さんがこの春大学(超名門大学!)に通うことになったというお話を伺い、いろいろあって今とにかく幸せであることはすぐに見て取れました。
私もいろいろあって今とにかく非常に幸せであります。
長い歳月を経て今ようやく出逢う人、そのタイミング、そしてその喜び・・・
全てはこれまで「生きてきた」という前提のもとに起こっていると思うと、
現在生きているという「生」そのものがとても尊いことに感じます。
自分にとっての3.11はそんな「生そのものへの感謝の日」でありたいと思います。

珈琲文明 店主 赤澤 智

関連記事